宮沢賢治のクリスマス
なまはげのサンタクロース
コント「宮沢賢治のクリスマス」
−なまはげのサンタクロース−
2014.11.13

【まえがき】
クリスマスとかサンタクロースが日本に入ってきたのは大正時代のようです。
子供雑誌にサンタクロースが紹介されたりしはじめます。
ところが、宮沢賢治の作品にサンタクロースは登場しないのです。「宮澤賢治語彙辞典」(原子朗編著)
の索引にも、クリスマスはありますが、サンタクロースの項目はありません。
大正から昭和のはじめにかけて、都市生活者の家庭には、サンタクロースが
知られるようになっていったのでしょうが、
地方都市までは、波及していなかったものと考えられます。
しかし、新し物好きの賢治さんのことです。羅須地人協会でクリスマスの催しをやっていたと想像をたく ましくしても、あながち妄想とまでは言えないように思われます。
ということで、このクリスマス・コントができあがりました。

【登場人物】
宮沢賢治、なまはげのサンタクロース、子ども(数人)、赤鼻のトナカイ(数頭)、ナレーター
以上、登場人物は、全部で十数人です。
宮沢賢治は、帽子にマント姿で、写真にあるような感じです。
子どもたちは、当時の農村の子どもたちの衣装。台詞は、適宜、割り振ってください。
また、すべて男子の台詞になっていますので、女子の場合は、それなりに言い回しを変えて
いただいて結構です。
トナカイに台詞があってもいいと思います。

舞台上手に机の上に大きな手回し蓄音機が置かれている。朝顔のスピーカーが目立っている。
そのスピーカーに向かい合うように木の丸椅子が生徒の人数分並べられている。
舞台奥には、(移動式の)黒板があって、「羅須地人協會/クリスマス・レコード鑑賞会」
の書き込み、漢字の上に振り仮名。
一場、二場ともに、設定は変わらない。

【一場】
ナレーター 「今から百年ほどまえの昭和のはじめのころのお話です。
宮沢賢治って知っていますか。
『雨ニモマケズ』の詩や童話『銀河鉄道の夜』を書いた人です。賢治さんは、新し物好きで、
村ではじめてトマトを栽培したり、エスペラント語を習ったり、チェロを弾いたりしています。
農民の生活を豊かにするために羅須地人協会という農民の集まる塾も作りました。
羅須地人協会というのは、変な名前ですが、意味はわかりません。
そんな新し物好きの賢治でしたから、当時めずらしかったクリスマスを、農民の子どもたちを
羅須地人協会に招いて
祝っていたのではないかと思うのです。証拠はありませんが、そんなふうに想像してみましょう。
クリスマスイブの夜のことです。羅須地人協会に子どもたちが集まってきます。」
(宮沢賢治は、蓄音機のそばに立ち、子どもたちは、椅子に座っている。賢治はもちろん、
子どもたちも適当に席を立って動き回る)
賢治 「みなさん、よくおいでくださいますた。今日は、12月24日で、
クリスマスイブです。(と、黒板を指し示す)
これから、クリスマス・レコード鑑賞会をはじめたいと思います」
(子どもたち、拍手)
子ども 「そこにあるのが手回し蓄音機だべか?」(と、立ち上がって蓄音機を覗き込む)
子ども (横に寄り添って)「んだ。……賢治先生は、町一番のレコード持ちだって、
レコード屋の三吉が言うとった」
子ども 「何を聞かしてくれるべ?」
賢治 「席にもどって、ご静粛に、……みんなは、クリスマスって知っていますか?」
子ども 「賢治先生、クリスマスっていうのは、耶蘇のお祭りだな」
賢治 「おー、よく知ってるね。その通り、耶蘇のお祭りだが、
何をお祝いするのか知っているか?」
子ども 「それは、知らん」
賢治 「耶蘇教というのは、耶蘇という偉いお坊さんがはじめたもんだが、その
耶蘇さまがお生まれになった日がクリスマスだ。耶蘇さまの誕生日のお祝いだ」
子ども 「ふーん、知らなんだ。でも、クリスマスは、サンタクロースというおじいさんが、
子どもにいいものをくれるとか、雑誌に書いてあったぞ」
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