リフライト・エクスペリメント
登場人物
ジョン:タイムズ社の記者。11年前、ラングレー博士の飛行実験失敗の記事を書き、博士を死においやったことを後悔している。
マンリー:ラングレー博士の助手のエンジニア。博士の夢を誰よりも強く信じ、情熱を燃やす。
カーチス:野心的な航空産業の社長。目的のためなら手段を選ばず、他者を欺くことに躊躇しない。
キャサリン:タイムズ社の女性カメラマン。ジョンのよき理解者であり、相談相手。
レオナ:ジョンの婚約者。ラングレー博士を大叔父さまと慕っている。
本編
0:回想
ジョン:(М)1903年12月、凍えるような冬の朝だった。新人記者の僕はポトマック川のほとりで期待に胸を躍らせていた。サミュエル・ラングレー博士の飛行機械「エアロドローム」の飛行実験がこれから行われる。政府の*潤沢《じゅんたく》な資金と、彼自身の全てを投じた世紀の瞬間だ。
マンリー:(操縦席で荒い呼吸を繰り返して)今度こそ。今後こそ、必ず飛んでやる。
ジョン:冷たい空気が肺に染み渡る中、エアロドロームがカタパルトに乗せられた。エンジンの*轟音《ごうおん》が凍てつく川面に響き渡る。プロペラが回る風圧で僕の髪が煽られた。
マンリー:行けえええ!
ジョン:発射。機体は勢いよく空へ舞い上がったかに見えたが、すぐにバランスを崩した。
マンリー:うわあああっ!
ジョン:骨組みがミシミシと*軋《きし》みながら崩れ落ち、凍りついた川の表面に激突した。
ジョン:水しぶきが晴れると、そこにはバラバラになった機体の破片と水中に沈む大きな影だけが残された。
マンリー:(溺れかけて)うはっ! くそっ! うぐうううっ!
ジョン:氷のようなポトマック川から*溺死《できし》寸前で引き上げられたパイロットが水と油まみれになりながら、凍える体を震わせていた。
マンリー:(震えながら)くっ、くそったれえええ!
ジョン:*罵詈雑言《ばりぞうごん》を吐くパイロットを、実験の成功を見届けようと集まっていた要人たちが、冷めた顔で見つめていた。
ジョン:その時に僕が書いた「飛行機械が潜水艦に」「空前絶後の*愚行《ぐこう》」という扇情的な記事は世間を騒がし、称賛された。僕のペンが世界を動かした。それは何事にも代えられない快感だった。
ジョン:(少しの間)その時の僕はまだ知らなかった。時にはペンが人を殺してしまうことを。
:
0:飛行機が飛び立つ轟音。
:
0:11年後。ジョンのオフィス。
キャサリン:ジョン、ジョン、起きて。居眠りしてたらまたチーフに怒られるわよ。ジョン。(ため息をついて本で頭を叩く)んん!
ジョン:(起きて)ん、んん、ああ、わかってる、わかってる、キャサリン。起きてるよ。僕は眠ってない。
キャサリン:ええ、そうね。いつものように目を閉じて考えごとしてたのよね。
ジョン:ああ、そうだ。
キャサリン:コーヒーでも入れる?
ジョン:いや、大丈夫。
キャサリン:記事は書けたの?
ジョン:ああ、書き終わってる。チェックするからちょっと待ってくれ。写真は?
キャサリン:こっちも終わったわ。
ジョン:君はいつも仕事が早いな。
キャサリン:最近は寝ているあなたを起こすのも私の仕事になってる気がするわ。
ジョン:いつもすまない。
キャサリン:こちらこそ。レオナみたいに優しく起こさなくてごめんなさいね。
ジョン:そう思うなら今度は優しい声で起こしてみてよ。
キャサリン:嫌よ。そういうのは愛しのレオナに頼みなさい。
ジョン:頼まなくても彼女はいつもそうしてくれる。この前の遅くに起きた朝は、窓から射しこむ光で彼女の笑顔が天使に見えたよ。
キャサリン:ジョン、*惚気《のろけ》るのは仕事が終わってからにして。さっさとチェックを済ませなさい。
ジョン:わかってるよ、キャサリン。ああ、ただ、ちょっと……。
キャサリン:なに?
ジョン:(ため息)嫌なことを思い出した。
キャサリン:どんな?
ジョン:僕が書いた飛行実験失敗の記事だよ。あれからもう11年も経つのに。
キャサリン:ああ、あれね。あなたの記事のおかげでその日のニューヨークタイムズは爆発的に売れた。覚えてるわ。「10年と7万ドルをかけて作った盛大な水しぶき」
ジョン:ああ、やめてくれ。
キャサリン:「機体も計画も、空に浮かぶどころか最初から沈む運命だった。ここに問いたい。なぜ我々の血税が空を飛ぶ夢ではなく、沈没する鉄の*棺桶《かんおけ》の開発に使わなければならなかったのか。これはもはや、科学の名の下に暴走する老科学者の喜劇、いや、国家的な悲劇である」。
ジョン:よく覚えてるね。
キャサリン:何度も読み返して大笑いしたわ。
ジョン:怖いもの知らずの新人ってのは恐ろしいよ。
キャサリン:それで上司に褒められたのよね。
ジョン:ああ。めちゃくちゃ褒められた。「飛行機械で人が空を飛ぶなんてのはまさしく夢物語だ。これから百万年経ってもそんなことは無理に決まっている」。あの時、僕はそう書いた。
キャサリン:そして後悔した。
ジョン:そう。その記事を書いて数日後、ライト兄弟が飛行機を空に飛ばしたんだ。
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