-Lost last scene- (15分)
住んでいた地区には同じ名前の幼稚園・小学校・中学校が並んで建っていた。
転校がなければ同級生が10年間ほぼ同じお顔触れで、クラスが同じにならずともお互いの
存在は何となく把握している感じ。

学校から自宅までは真っすぐ3キロ続く一本道。
この地区に住む児童には、遠くに誰かの背中が見えると反射的に走って追い付こうとする
本能が漏れなく組み込まれていた。

登下校では保護者が学校へ提出した地図通りの道を通らなければいけない。
この道でないと事故に遭っても保険が下りないから必ず守れと児童は各家庭できつく言い
聞かされながら、別の地区に住む友達と途中まで一緒に帰る為にリスクを犯して別の道を
通る背徳感に高揚を覚えていた。そして友達と別れて一人になってからは、本来の経路に
合流するまでずっと「今死んだら終わりだ」と恐怖に苛まれてもいた。

その日の自分はそれさえ食傷気味だったのか、下校時に指定通りの経路を歩いていて、見
慣れない背中を見付けた。
見慣れずとも、追い付こうと走る。追い付いてみるとクラスが一緒になった事のない彼だ
った。クラスこそ一緒になった事はないけど、幼稚園当時に遠足写真では海辺で糸に繋が
れた蟹を見付けて振り回す彼と自分が納められている。

「え、なんでいるの?」
『引っ越してきた』

当時の自分の概念では、引っ越しと転校はほぼ同一のものだったから、一軒家を建てて借
家から移り住んでくる事情は理解を越えた出来事だった。

生まれ育ったその地区に自分はあまり馴染んでいなかった。
自宅から見ると畑の向こうに小さなグラウンドがあった。小学校5年生になると子ども会
が主催するチームに入って、そこで休日はソフトボールを行うのが通例だった。自分の親
は高齢で、そうでなくともスポーツに興味のない人間だった。その子どもに生まれればキ
ャッチボールの経験もなく、グローブも持っていなかった。
子ども会のソフトボールチームとは別に少年野球チームがあった。結局のところ地区の少
年達の大半はソフトボールを始める以前からその野球チームで活躍していた。一昔前にそ
のチームからプロ野球選手が生まれた事で発生していたスポーツ好きな親たちへの追い風
は、自分にとっては向かい風でしかなくひたすらに冷たかった。
そもそも先に野球チームに在籍する事で完成してしまう仲間意識があったから、つまり自
分は人間の扱いを受けていなかった。ろくに話をした事もない相手に殴られて、パチンコ
玉を投げ付けられた。野球チームで培った肩の力で放たれるパチンコ玉の威力たるや、か
つての某国での死刑手段の域に達していた。

その内、5年生になった。
部屋でのんびり過ごしていた土曜日の午後、何故来ないのかと地域の同級生達が迎えに来
た。こういう時こそ、逆の立場で考えてみて欲しい。何故行かなくてはならないのか。し
かし断る力がなかった自分は、死刑執行人達に連れられてグラウンドへ赴く。母親が友人
を通じて入手していた「ひろし」と油性マジックで書かれた他人のお下がりのグローブを
持たされて。これがとてつもなく恥ずかしく感じられて、どうすれば隠せるのか散々と思
案を巡らせた。今にして思えば第三者どころか、ひろしくんさえ自分のグローブが伝承さ
れていたのを知らなかったかもしれない。左手に填めたグローブに書かれた文字を右手で
隠せば、つまりキャッチングという行為は不可能になる。そもそも基本的な技術力に難の
ある自分が、余計な心配をしながらのプレイ。エラーが出て当然とも言える。初めてグロ
ーブを手に填めたその日、ソフトボールチームに加入した約15分後、外野フライのキャッ
チ練習で顔面に洗礼を受けて、そのまま最後まで参加せずに泣きながら帰った。
以来、地域に友達はいなかった。

そこに、他の地域から引っ越してきたばかりの、同じく外の人間と言える彼との出会い。
急速に仲が深まって毎日一緒に遊んだ。お互いの家だったり、近所の公園だったり、いつ
誰が置き去ったのか分からない大量の大人の雑誌が積み上げられた橋の下だったり。

彼が特別学級にいるのは知っていた。
どの学年も5組までなのに、保健室の近くに別途に存在する6組。「みんな」という特定の
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