茶色い海に金魚
「茶色い海に金魚」        大沢ケイト




サヤカ…主婦(40)。30のとき会社でコウスケと不倫、略奪結婚。
    
コウスケ…サヤカの夫(42)。以前は別に妻子がいたが、サヤカと不倫して離婚。
    前妻との間の子どもを非常に可愛がっており、離婚を後悔している。



◎時間

 2010年12月31日。夜9時。

◎場所

 コウスケとサヤカの家。マンションの3LDKのリビング。


 リビング。照明を一部しかつけていないため、部屋は薄暗い。そのわずかな灯りの中にコウスケはいる。
 廊下の照明がリビングに差し込んでいる。
 コウスケは見えない誰かに捲くし立てている。かなり酔っているようだ。

 テーブルの上につぶれたビール缶が3つ。床の上にも。
 ゴミ箱に向かって投げられたものの、届かなかったゴミも又、床の上に転がっている。

 部屋の空気はどこか澱んでいる。



コウスケ  死んだよ。
      事故なんだってさ、あいつに言わせりゃ。
      んなわけあるかよ。俺に言わせりゃ、他殺だね。恨みによる犯行。
      許せないんだよ。俺がさあ。
      …知らねえよ、全部死んだのか? 全部だよ、全部。全滅。
      あいつ、醤油を一瓶水槽にぶちまけやがった。
      金魚も驚いたろうよ。「塩辛い! ここは海か!」
      ……実はさ、つけてたんだよ、金魚に。娘の名前をね。
      バカって、バカだったよ。
      なんでもよかったんだ。娘の名前を呼べれば、ぬいぐるみでも、植木鉢の花でも。
      たまたま金魚に名前をつけて、こっそり名前を呼んで喜んでたのに、うっかりあいつの前で呼んじゃった。
      「餌食べるか? ユキ?」ってね。
      そのときのあいつの顔。
      凄い顔で俺を見つめていた。本気で寒気が体中を走った。
      俺は、なんてことをしたんだ。
      いや、あのとき俺はあいつに当てつけたんだ。
      俺がどんなに何気なく娘の名前を呼べるか、あいつに教えてやろうとした。
      そうだ。そうとも。期待したんだ。あいつが俺に同情するのをさ。馬鹿だろ、馬鹿だよ。
      同情をさ、期待したんだよ。
      俺がどんなに何気なく考えてるか。10年も離れてくらしてる娘のことを。
      その結果がこれだ。茶色い海で金魚が全滅。
      バカなことを。

      あいつが俺の腕に手をかけなきゃ、あいつが俺の前で服を脱がなきゃ、こんなことにはならなかった。
      俺じゃない、あいつのせいだ。俺はさ、奥さんと別れたくないって言ったんだ。娘とも離れたくない。
      はらんでるって言われたとき、たのむから許してくれ、今度だけはあきらめてくれって言ったんだ。金なら、
      払う。金なら。
            
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