ゲートキーパー
木の舟を立って漕ぐ男。女は背を向けて座っている。
水を掻く音。ゆっくりと会話。

男「そんなに重いものを背負っていては舟が沈んでしまいます。」
女「…捨てるつもりはないわ。」
男「ではこのまま沈むのですね? それで良いのですね?」
女「…代わりに全部捨ててくれる?」
男「それはできかねます。」
女「どうして。」
男「大切なのは捨てるという事実ではありません。本当に意味があるのは、あなた自身が捨てるように努力すること、前を向くことです。」

女「…ねぇ。」
男「はい。」
女「ここから降りたら、どこへ着くの?」
男「深い闇の底でしょう。そこには何も無いと思います。」
女「…もう、降りたいかもしれない。」
男「どうぞご自由に。貴女が決めることです。」
女「引き止めないのね。」
男「それが逆効果で、何の意味も無いことだと知っていますから。」

女「舟を、止めてくれる?」
男「それはできかねます。仕事の決まりですから。」
女「降りれないわ。」
男「降りにくいだけでしょう。降りることはできます。」
女「じゃあ手伝ってくれる?」
男「それはできかねます。罪に問われますから。」

女「どうしてこんなことを仕事にしているの?」
男「さぁ。どうしてでしょうね。」
女「はぐらかさないで。」
男「有耶無耶の方が良いこともありますよ。」
男「今、貴女が本当に知るべきなのは私のことではなく、貴女自身のことです。」
女「私のこと?」
男「そうです。」
女「全て知ってる。今さら何を知ろうというの?」
男「では何故、それを捨てられないのですか。」(袋を指差す)
女「……。」
男「知っているのでしょう?」
女「…分からないわ。」
男「ではご存知でないと。」
女「違う。知ってる…はず。でも分からないの。」
男「では…見つけに行きましょう。」
女「行くってどこへ?」
男「貴女の過去です。」
女「本当に行けるの?」
男「思い返すのです。過去を。そうすれば辿れるのです。」
女「行くのは例えなのね。」
男「残念ですか?」
女「…少しね。」
男「いくつか尋ねます。”それ”は誰にもらったものですか?」
女「直接、もらった覚えは無いのだけれど。きれいなものをくれた人がいたの。愛とか夢とか幸せとか、そんな風なもの。でも…それらがある日突然”これ”に変わったの。」
男「辛かったですか?」
女「そうね。辛かった。でもそれ以上に喪失感が強かったの。私の全てが抜け殻になってしまった。そこを埋めるように沢山泣いた。でも埋まらなかった。返してほしい。帰ってきてほしい。”こんなもの”じゃ何も埋まらない! …かえって隙間は増すばかり。本当は捨ててしまいたい。全部、全部捨てて、早く楽になりたい…! でも自分では捨てられないの…! こんなものすらも、あの人と過ごした記憶で、あの人が遺してくれたもので、あの人が存在したという証拠だから。でも苦しい、重い。」
男「思い出の品は、捨てられないものです。それが、亡くなった人のものであれば尚更。」
引き続き泣く女。
男「ですが、その人が存在した証拠は”これ”ではなく、貴女の中にある、記憶だけで良い筈です。貴女が大切な人に出会い、過ごした時間は決して変わらず、消えず、愛しいまま、貴女の中に残り続けます。それを証拠にした方が、重い苦しみを抱え続けるよりずっと楽でしょう?」
女「……。」
男「きっと…彼もそう望む筈です。」
女「……そう、ね。」

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